Charles Bronson

本名:チャールズ・ブチンスキーCharles Buchinski
ロシア移民の子として1920年11月3日生まれる。
父親の死後、貧しい家庭を支えるため、炭鉱夫など様々な職業に
従事した後、第2次世界大戦中はB29パイロットとして
日本の爆撃にも参加。除隊後は俳優スクール、裏方、映画の端役を
経て、「アパッチ」、TV「カメラマン・コバック」で脚光を浴びます。

そして、「荒野の七人」、「大脱走」の準主役によってスターの地位を確立。




ヨーロッパに渡った彼は、A・ドロン共演「さらば友よ」、ADIEU L'AMI(1968)

ゴールデングローブ賞受賞作「雨の訪問者」によって国際的スターに!
                      LE PASSAGER DE LA PLUIE(1970)

その後は、年2、3本ペースで話題作を発表。

「ブレイクアウト」では世界初の100万ドルスターに、BREAKOUT(1975)

世界のミフネ、A・ドロンと夢の競演をした「レッド・サン」、RED SUN(1971)

デタント・アクションの傑作「テレフォン」、TELEFON(1977)

名作「ウェスタン」、ONCE UPON A TIME IN THE WEST(1968)

マフィアを鋭くえぐった問題作「バラキ」、THE VALACHI PAPERS(1972)

「狼よさらば」をはじめとする“デス・ウィッシュ”

DEATH WISH
映画史にその名を残す闇のヒーロー

”ポール・カージー”登場

大ヒット人気シリーズとなり、60年代、70年代を代表する
アクションスターとしてS・マックィーンと共に君臨しました。

              ☆

日本では1970年よりはじまった男性化粧品「マンダム」のCM
う~んマンダムがお茶の間の人気を席捲!
CM曲に使われたジェリー・ウォレスの「男の世界」が
当時、CM曲としては異例のオリコンチャート3週連続1位!
このCMの大ヒットにより会社名「丹頂」を「マンダム」に変更!

日本中を巻き込んだブロンソンブームは、当時新聞連載中だった
国民的マンガ「サザエさん」にまで飛び火し、サザエと友人が
“ブロンソンしびれるわ~”という会話に嫉妬した波平が
ブロンソンのひげを真似るという暴挙まで飛び出す始末。

みうらじゅん氏、田口トモロヲ氏共著「ブロンソンならこういうね」
など文化人、芸能人にも多くの影響を与えました。

日本のカタブツ親父や芸能界をも動かしたブロンソン・ブームは
同様に世界中で起こりました。

              ☆★  

80年代になるとさすがに、ブームも下火になりますが、
ここはさすがブロンソン。テレビ洋画劇場の視聴率が苦しいときは
「真夜中の野獣刑事・全裸殺人鬼を追え!」、「必殺マグナム」、
「スーパーマグナム」や「バトルガンM-16」など提供し
常時20%台の視聴率をタタキ出し、何人もの業界関係者を救い、
お茶の間には明日への“勇気”と“希望”を与えました。

“苦しい時のブロンソン”という業界用語?まで生まれたのも
この頃です。

また私生活でも、不法侵入した強盗をノックアウトするなどの
うれしいニュースがファンを喜ばせます。
どこまでも世界中のファンの夢を壊さない。
これこそが、スーパースターたるゆえんなのです。

しかし、そんな彼を突然の病魔が襲います。アルツハイマー病です。

              ☆★☆

数年にわたる病魔との闘いでしたが、世界中のファンの願いもむなしく、
2003年8月30日、最後は急性肺炎により永眠いたしました。(´Д⊂)